しかし一歩退いて考えて見ると、かくまでに彼
しかし一歩退いて考えて見ると、かくまでに彼等が吾輩を軽蔑(けいべつ)するのも、あながち無理ではない。大声は俚耳(りじ)に入らず、陽春白雪の詩には和するもの少なしの喩(たとえ)も古い昔からある事だ。形体以外の活動を見る能(あた)わざる者に向って己霊(これい)の光輝を見よと強(し)ゆるは、坊主に髪を結(い)えと逼(せま)るがごとく、鮪(まぐろ)に演説をして見ろと云うがごとく、電鉄に脱線を要求するがごとく、主人に辞職を勧告するごとく、三平に金の事を考えるなと云うがごときものである。必竟(ひっきょう)無理な注文に過ぎん。しかしながら猫といえども社会的動物である。社会的動物である以上はいかに高く自(みずか)ら標置するとも、或る程度までは社会と調和して行かねばならん。主人や細君や乃至(ないし)御(お)さん、三平連(づれ)が吾輩を吾輩相当に評価してくれんのは残念ながら致し方がないとして、不明の結果皮を剥(は)いで三味線屋に売り飛ばし、肉を刻んで多々良君の膳に上(のぼ)すような無分別をやられては由々(ゆゆ)しき大事である。吾輩は頭をもって活動すべき天命を受けてこの娑婆(しゃば)に出現したほどの古今来(ここんらい)の猫であれば、非常に大事な身体である。千金の子(し)は堂陲(どうすい)に坐せずとの諺(ことわざ)もある事なれば、好んで超邁(ちょうまい)を宗(そう)として、徒(いたず)らに吾身の危険を求むるのは単に自己の災(わざわい)なるのみならず、また大いに天意に背(そむ)く訳である。猛虎も動物園に入れば糞豚(ふんとん)の隣りに居を占め、鴻雁(こうがん)も鳥屋に生擒(いけど)らるれば雛鶏(すうけい)と俎(まないた)を同(おな)じゅうす。庸人(ようじん)と相互(あいご)する以上は下(くだ)って庸猫(ようびょう)と化せざるべからず。庸猫たらんとすれば鼠を捕(と)らざるべからず。――吾輩はとうとう鼠をとる事に極(き)めた。
せんだってじゅうから日本は露西亜(ロシア)と大戦争をしているそうだ。吾輩は日本の猫だから無論日本贔負(びいき)である。出来得べくんば混成(こんせい)猫旅団(ねこりょだん)を組織して露西亜兵を引っ掻(か)いてやりたいと思うくらいである。かくまでに元気旺盛(おうせい)な吾輩の事であるから鼠の一疋や二疋はとろうとする意志さえあれば、寝ていても訳なく捕(と)れる。昔(むか)しある人当時有名な禅師に向って、どうしたら悟れましょうと聞いたら、猫が鼠を覘(ねら)うようにさしゃれと答えたそうだ。猫が鼠をとるようにとは、かくさえすれば外(は)ずれっこはござらぬと云う意味である。女賢(さか)しゅうしてと云う諺はあるが猫賢(さか)しゅうして鼠捕(と)り損(そこな)うと云う格言はまだ無いはずだ。して見ればいかに賢(かし)こい吾輩のごときものでも鼠の捕れんはずはあるまい。とれんはずはあるまいどころか捕り損うはずはあるまい。今まで捕らんのは、捕りたくないからの事さ。春の日はきのうのごとく暮れて、折々の風に誘わるる花吹雪(はなふぶき)が台所の腰障子の破れから飛び込んで手桶(ておけ)の中に浮ぶ影が、薄暗き勝手用のランプの光りに白く見える。今夜こそ大手柄をして、うちじゅう驚かしてやろうと決心した吾輩は、あらかじめ戦場を見廻って地形を飲み込んでおく必要がある。戦闘線は勿論(もちろん)あまり広かろうはずがない。畳数にしたら四畳敷もあろうか、その一畳を仕切って半分は流し、半分は酒屋八百屋の御用を聞く土間である。へっついは貧乏勝手に似合わぬ立派な者で赤の銅壺(どうこ)がぴかぴかして、後(うし)ろは羽目板の間(ま)を二尺遺(のこ)して吾輩の鮑貝(あわびがい)の所在地である。茶の間に近き六尺は膳椀(ぜんわん)皿小鉢(さらこばち)を入れる戸棚となって狭(せま)き台所をいとど狭く仕切って、横に差し出すむき出しの棚とすれすれの高さになっている。その下に摺鉢(すりばち)が仰向(あおむ)けに置かれて、摺鉢の中には小桶の尻が吾輩の方を向いている。大根卸し、摺小木(すりこぎ)が並んで懸(か)[#ルビの「か」は底本では「け」]けてある傍(かたわ)らに火消壺だけが悄然(しょうぜん)と控(ひか)えている。
せんだってじゅうから日本は露西亜(ロシア)と大戦争をしているそうだ。吾輩は日本の猫だから無論日本贔負(びいき)である。出来得べくんば混成(こんせい)猫旅団(ねこりょだん)を組織して露西亜兵を引っ掻(か)いてやりたいと思うくらいである。かくまでに元気旺盛(おうせい)な吾輩の事であるから鼠の一疋や二疋はとろうとする意志さえあれば、寝ていても訳なく捕(と)れる。昔(むか)しある人当時有名な禅師に向って、どうしたら悟れましょうと聞いたら、猫が鼠を覘(ねら)うようにさしゃれと答えたそうだ。猫が鼠をとるようにとは、かくさえすれば外(は)ずれっこはござらぬと云う意味である。女賢(さか)しゅうしてと云う諺はあるが猫賢(さか)しゅうして鼠捕(と)り損(そこな)うと云う格言はまだ無いはずだ。して見ればいかに賢(かし)こい吾輩のごときものでも鼠の捕れんはずはあるまい。とれんはずはあるまいどころか捕り損うはずはあるまい。今まで捕らんのは、捕りたくないからの事さ。春の日はきのうのごとく暮れて、折々の風に誘わるる花吹雪(はなふぶき)が台所の腰障子の破れから飛び込んで手桶(ておけ)の中に浮ぶ影が、薄暗き勝手用のランプの光りに白く見える。今夜こそ大手柄をして、うちじゅう驚かしてやろうと決心した吾輩は、あらかじめ戦場を見廻って地形を飲み込んでおく必要がある。戦闘線は勿論(もちろん)あまり広かろうはずがない。畳数にしたら四畳敷もあろうか、その一畳を仕切って半分は流し、半分は酒屋八百屋の御用を聞く土間である。へっついは貧乏勝手に似合わぬ立派な者で赤の銅壺(どうこ)がぴかぴかして、後(うし)ろは羽目板の間(ま)を二尺遺(のこ)して吾輩の鮑貝(あわびがい)の所在地である。茶の間に近き六尺は膳椀(ぜんわん)皿小鉢(さらこばち)を入れる戸棚となって狭(せま)き台所をいとど狭く仕切って、横に差し出すむき出しの棚とすれすれの高さになっている。その下に摺鉢(すりばち)が仰向(あおむ)けに置かれて、摺鉢の中には小桶の尻が吾輩の方を向いている。大根卸し、摺小木(すりこぎ)が並んで懸(か)[#ルビの「か」は底本では「け」]けてある傍(かたわ)らに火消壺だけが悄然(しょうぜん)と控(ひか)えている。