鼻を付けて臭(か)いで見ると少々鼠臭(くさ
鼻を付けて臭(か)いで見ると少々鼠臭(くさ)い。もしここから吶喊(とっかん)して出たら、柱を楯(たて)にやり過ごしておいて、横合からあっと爪をかける。もし天井から来たらと上を仰ぐと真黒な煤(すす)がランプの光で輝やいて、地獄を裏返しに釣るしたごとくちょっと吾輩の手際(てぎわ)では上(のぼ)る事も、下(くだ)る事も出来ん。まさかあんな高い処から落ちてくる事もなかろうからとこの方面だけは警戒を解(と)く事にする。それにしても三方から攻撃される懸念(けねん)がある。一口なら片眼でも退治して見せる。二口ならどうにか、こうにかやってのける自信がある。しかし三口となるといかに本能的に鼠を捕(と)るべく予期せらるる吾輩も手の付けようがない。さればと云って車屋の黒ごときものを助勢に頼んでくるのも吾輩の威厳に関する。どうしたら好かろう。どうしたら好かろうと考えて好い智慧(ちえ)が出ない時は、そんな事は起る気遣(きづかい)はないと決めるのが一番安心を得る近道である。また法のつかない者は起らないと考えたくなるものである。まず世間を見渡して見給え。きのう貰った花嫁も今日死なんとも限らんではないか、しかし聟殿(むこどの)は玉椿千代も八千代もなど、おめでたい事を並べて心配らしい顔もせんではないか。心配せんのは、心配する価値がないからではない。いくら心配したって法が付かんからである。吾輩の場合でも三面攻撃は必ず起らぬと断言すべき相当の論拠はないのであるが、起らぬとする方が安心を得るに便利である。安心は万物に必要である。吾輩も安心を欲する。よって三面攻撃は起らぬと極(き)める。
それでもまだ心配が取れぬから、どう云うものかとだんだん考えて見るとようやく分った。三個の計略のうちいずれを選んだのがもっとも得策であるかの問題に対して、自(みずか)ら明瞭なる答弁を得るに苦しむからの煩悶(はんもん)である。戸棚から出るときには吾輩これに応ずる策がある、風呂場から現われる時はこれに対する計(はかりごと)がある、また流しから這い上るときはこれを迎うる成算もあるが、そのうちどれか一つに極(き)めねばならぬとなると大(おおい)に当惑する。東郷大将はバルチック艦隊が対馬海峡(つしまかいきょう)を通るか、津軽海峡(つがるかいきょう)へ出るか、あるいは遠く宗谷海峡(そうやかいきょう)を廻るかについて大(おおい)に心配されたそうだが、今吾輩が吾輩自身の境遇から想像して見て、ご困却の段実に御察し申す。吾輩は全体の状況において東郷閣下に似ているのみならず、この格段なる地位においてもまた東郷閣下とよく苦心を同じゅうする者である。
吾輩がかく夢中になって智謀をめぐらしていると、突然破れた腰障子が開(あ)いて御三(おさん)の顔がぬうと出る。顔だけ出ると云うのは、手足がないと云う訳ではない。ほかの部分は夜目(よめ)でよく見えんのに、顔だけが著るしく強い色をして判然眸底(ぼうてい)に落つるからである。御三はその平常より赤き頬をますます赤くして洗湯から帰ったついでに、昨夜(ゆうべ)に懲(こ)りてか、早くから勝手の戸締(とじまり)をする。書斎で主人が俺のステッキを枕元へ出しておけと云う声が聞える。何のために枕頭にステッキを飾るのか吾輩には分らなかった。まさか易水(えきすい)の壮士を気取って、竜鳴(りゅうめい)を聞こうと云う酔狂でもあるまい。きのうは山の芋、今日(きょう)はステッキ、明日(あす)は何になるだろう。
夜はまだ浅い鼠はなかなか出そうにない。吾輩は大戦の前に一と休養を要する。
主人の勝手には引窓がない。座敷なら欄間(らんま)と云うような所が幅一尺ほど切り抜かれて夏冬吹き通しに引窓の代理を勤めている。惜し気もなく散る彼岸桜(ひがんざくら)を誘うて、颯(さっ)と吹き込む風に驚ろいて眼を覚(さ)ますと、朧月(おぼろづき)さえいつの間(ま)に差してか、竈(へっつい)の影は斜めに揚板(あげいた)の上にかかる。寝過ごしはせぬかと二三度耳を振って家内の容子(ようす)を窺(うかが)うと、しんとして昨夜のごとく柱時計の音のみ聞える。もう鼠の出る時分だ。どこから出るだろう。
戸棚の中でことことと音がしだす。小皿の縁(ふち)を足で抑えて、中をあらしているらしい。ここから出るわいと穴の横へすくんで待っている。なかなか出て来る景色(けしき)はない。皿の音はやがてやんだが今度はどんぶりか何かに掛ったらしい、重い音が時々ごとごととする。しかも戸を隔ててすぐ向う側でやっている、吾輩の鼻づらと距離にしたら三寸も離れておらん。時々はちょろちょろと穴の口まで足音が近寄るが、また遠のいて一匹も顔を出すものはない。戸一枚向うに現在敵が暴行を逞(たくま)しくしているのに、吾輩はじっと穴の出口で待っておらねばならん随分気の長い話だ。鼠は旅順椀(りょじゅんわん)の中で盛に舞踏会を催うしている。
それでもまだ心配が取れぬから、どう云うものかとだんだん考えて見るとようやく分った。三個の計略のうちいずれを選んだのがもっとも得策であるかの問題に対して、自(みずか)ら明瞭なる答弁を得るに苦しむからの煩悶(はんもん)である。戸棚から出るときには吾輩これに応ずる策がある、風呂場から現われる時はこれに対する計(はかりごと)がある、また流しから這い上るときはこれを迎うる成算もあるが、そのうちどれか一つに極(き)めねばならぬとなると大(おおい)に当惑する。東郷大将はバルチック艦隊が対馬海峡(つしまかいきょう)を通るか、津軽海峡(つがるかいきょう)へ出るか、あるいは遠く宗谷海峡(そうやかいきょう)を廻るかについて大(おおい)に心配されたそうだが、今吾輩が吾輩自身の境遇から想像して見て、ご困却の段実に御察し申す。吾輩は全体の状況において東郷閣下に似ているのみならず、この格段なる地位においてもまた東郷閣下とよく苦心を同じゅうする者である。
吾輩がかく夢中になって智謀をめぐらしていると、突然破れた腰障子が開(あ)いて御三(おさん)の顔がぬうと出る。顔だけ出ると云うのは、手足がないと云う訳ではない。ほかの部分は夜目(よめ)でよく見えんのに、顔だけが著るしく強い色をして判然眸底(ぼうてい)に落つるからである。御三はその平常より赤き頬をますます赤くして洗湯から帰ったついでに、昨夜(ゆうべ)に懲(こ)りてか、早くから勝手の戸締(とじまり)をする。書斎で主人が俺のステッキを枕元へ出しておけと云う声が聞える。何のために枕頭にステッキを飾るのか吾輩には分らなかった。まさか易水(えきすい)の壮士を気取って、竜鳴(りゅうめい)を聞こうと云う酔狂でもあるまい。きのうは山の芋、今日(きょう)はステッキ、明日(あす)は何になるだろう。
夜はまだ浅い鼠はなかなか出そうにない。吾輩は大戦の前に一と休養を要する。
主人の勝手には引窓がない。座敷なら欄間(らんま)と云うような所が幅一尺ほど切り抜かれて夏冬吹き通しに引窓の代理を勤めている。惜し気もなく散る彼岸桜(ひがんざくら)を誘うて、颯(さっ)と吹き込む風に驚ろいて眼を覚(さ)ますと、朧月(おぼろづき)さえいつの間(ま)に差してか、竈(へっつい)の影は斜めに揚板(あげいた)の上にかかる。寝過ごしはせぬかと二三度耳を振って家内の容子(ようす)を窺(うかが)うと、しんとして昨夜のごとく柱時計の音のみ聞える。もう鼠の出る時分だ。どこから出るだろう。
戸棚の中でことことと音がしだす。小皿の縁(ふち)を足で抑えて、中をあらしているらしい。ここから出るわいと穴の横へすくんで待っている。なかなか出て来る景色(けしき)はない。皿の音はやがてやんだが今度はどんぶりか何かに掛ったらしい、重い音が時々ごとごととする。しかも戸を隔ててすぐ向う側でやっている、吾輩の鼻づらと距離にしたら三寸も離れておらん。時々はちょろちょろと穴の口まで足音が近寄るが、また遠のいて一匹も顔を出すものはない。戸一枚向うに現在敵が暴行を逞(たくま)しくしているのに、吾輩はじっと穴の出口で待っておらねばならん随分気の長い話だ。鼠は旅順椀(りょじゅんわん)の中で盛に舞踏会を催うしている。