翌朝(あくるあさ)になって、腹の痛みも御蔭
翌朝(あくるあさ)になって、腹の痛みも御蔭でとれてありがたいと、出立する十五分前に御夏さんを呼んで、昨日(きのう)申し込んだ結婚事件の諾否を尋ねると、御夏さんは笑いながら静岡には水瓜もあります、御医者もありますが一夜作りの御嫁はありませんよと出て行ったきり顔を見せなかったそうだ。それから老梅君も僕同様失恋になって、図書館へは小便をするほか来なくなったんだって、考えると女は罪な者だよ」と云うと主人がいつになく引き受けて「本当にそうだ。せんだってミュッセの脚本を読んだらそのうちの人物が羅馬(ローマ)の詩人を引用してこんな事を云っていた。――羽より軽い者は塵(ちり)である。塵より軽いものは風である。風より軽い者は女である。女より軽いものは無(む)である。――よく穿(うが)ってるだろう。女なんか仕方がない」と妙なところで力味(りき)んで見せる。これを承(うけたまわ)った細君は承知しない。「女の軽いのがいけないとおっしゃるけれども、男の重いんだって好い事はないでしょう」「重いた、どんな事だ」「重いと云うな重い事ですわ、あなたのようなのです」「俺がなんで重い」「重いじゃありませんか」と妙な議論が始まる。迷亭は面白そうに聞いていたが、やがて口を開いて「そう赤くなって互に弁難攻撃をするところが夫婦の真相と云うものかな。どうも昔の夫婦なんてものはまるで無意味なものだったに違いない」とひやかすのだか賞(ほ)めるのだか曖昧(あいまい)な事を言ったが、それでやめておいても好い事をまた例の調子で布衍(ふえん)して、下(しも)のごとく述べられた。
「昔は亭主に口返答なんかした女は、一人もなかったんだって云うが、それなら唖(おし)を女房にしていると同じ事で僕などは一向(いっこう)ありがたくない。やっぱり奥さんのようにあなたは重いじゃありませんかとか何とか云われて見たいね。同じ女房を持つくらいなら、たまには喧嘩の一つ二つしなくっちゃ退屈でしようがないからな。僕の母などと来たら、おやじの前へ出てはいとへいで持ち切っていたものだ。そうして二十年もいっしょになっているうちに寺参りよりほかに外へ出た事がないと云うんだから情けないじゃないか。もっとも御蔭で先祖代々の戒名(かいみょう)はことごとく暗記している。男女間の交際だってそうさ、僕の小供の時分などは寒月君のように意中の人と合奏をしたり、霊の交換をやって朦朧体(もうろうたい)で出合って見たりする事はとうてい出来なかった」「御気の毒様で」と寒月君が頭を下げる。「実に御気の毒さ。しかもその時分の女が必(かなら)ずしも今の女より品行がいいと限らんからね。奥さん近頃は女学生が堕落したの何だのとやかましく云いますがね。なに昔はこれより烈(はげ)しかったんですよ」「そうでしょうか」と細君は真面目である。「そうですとも、出鱈目(でたらめ)じゃない、ちゃんと証拠があるから仕方がありませんや。苦沙弥君、君も覚えているかも知れんが僕等の五六歳の時までは女の子を唐茄子(とうなす)のように籠(かご)へ入れて天秤棒(てんびんぼう)で担(かつ)いで売ってあるいたもんだ、ねえ君」「僕はそんな事は覚えておらん」「君の国じゃどうだか知らないが、静岡じゃたしかにそうだった」「まさか」と細君が小さい声を出すと、「本当ですか」と寒月君が本当らしからぬ様子で聞く。
「本当さ。現に僕のおやじが価(ね)を付けた事がある。その時僕は何でも六つくらいだったろう。おやじといっしょに油町(あぶらまち)から通町(とおりちょう)へ散歩に出ると、向うから大きな声をして女の子はよしかな、女の子はよしかなと怒鳴(どな)ってくる。僕等がちょうど二丁目の角へ来ると、伊勢源(いせげん)と云う呉服屋の前でその男に出っ食わした。伊勢源と云うのは間口が十間で蔵(くら)が五(い)つ戸前(とまえ)あって静岡第一の呉服屋だ。今度行ったら見て来給え。
「昔は亭主に口返答なんかした女は、一人もなかったんだって云うが、それなら唖(おし)を女房にしていると同じ事で僕などは一向(いっこう)ありがたくない。やっぱり奥さんのようにあなたは重いじゃありませんかとか何とか云われて見たいね。同じ女房を持つくらいなら、たまには喧嘩の一つ二つしなくっちゃ退屈でしようがないからな。僕の母などと来たら、おやじの前へ出てはいとへいで持ち切っていたものだ。そうして二十年もいっしょになっているうちに寺参りよりほかに外へ出た事がないと云うんだから情けないじゃないか。もっとも御蔭で先祖代々の戒名(かいみょう)はことごとく暗記している。男女間の交際だってそうさ、僕の小供の時分などは寒月君のように意中の人と合奏をしたり、霊の交換をやって朦朧体(もうろうたい)で出合って見たりする事はとうてい出来なかった」「御気の毒様で」と寒月君が頭を下げる。「実に御気の毒さ。しかもその時分の女が必(かなら)ずしも今の女より品行がいいと限らんからね。奥さん近頃は女学生が堕落したの何だのとやかましく云いますがね。なに昔はこれより烈(はげ)しかったんですよ」「そうでしょうか」と細君は真面目である。「そうですとも、出鱈目(でたらめ)じゃない、ちゃんと証拠があるから仕方がありませんや。苦沙弥君、君も覚えているかも知れんが僕等の五六歳の時までは女の子を唐茄子(とうなす)のように籠(かご)へ入れて天秤棒(てんびんぼう)で担(かつ)いで売ってあるいたもんだ、ねえ君」「僕はそんな事は覚えておらん」「君の国じゃどうだか知らないが、静岡じゃたしかにそうだった」「まさか」と細君が小さい声を出すと、「本当ですか」と寒月君が本当らしからぬ様子で聞く。
「本当さ。現に僕のおやじが価(ね)を付けた事がある。その時僕は何でも六つくらいだったろう。おやじといっしょに油町(あぶらまち)から通町(とおりちょう)へ散歩に出ると、向うから大きな声をして女の子はよしかな、女の子はよしかなと怒鳴(どな)ってくる。僕等がちょうど二丁目の角へ来ると、伊勢源(いせげん)と云う呉服屋の前でその男に出っ食わした。伊勢源と云うのは間口が十間で蔵(くら)が五(い)つ戸前(とまえ)あって静岡第一の呉服屋だ。今度行ったら見て来給え。